お侍様 小劇場

    “冬色の晩に” (お侍 番外編 78)
 


 クリスマス寒波ならぬ、年越し寒波がそのまま居座ったかと思うよな。近年には久しく無かった度合いの、極寒の冬が正月早々から続いていたが。世界的レベルという広がり見せた、北海からのその寒波も、一旦休憩というところか、今週の頭からは少々和らいだ模様であり。

 “ほとんど屋内で過ごす身にはあまり実感のない僥倖ではあったが…。”

 そうとはゆかぬ家人らは家人らで、寒さが堪えぬものでもなかろうに…妙にお元気だったので。出社してから拾う世間の声でそうならしいと気づいた勘兵衛だったほど。毎朝毎朝、まだまだ陽による温みも満たさぬのだろう、身を切りそうな空気の中を学校へ向かう次男坊は。幼い時期を過ごしたのがもっと寒い土地だからか、あまり堪えては無い様子だったし。冷える朝ほど“お寒いですよ、しっかり暖まって下さいませ”と、そりゃあ張り切る女房殿は女房殿で。彼もまた寒さには強いらしく、息が白くなりましただの、氷が張ってたんですってだのという、着々と近づく冬の便りを、そういえば妙にわくわくとした笑顔でもって、こちらへ告げてはなかったか。

 「……。」

 年明けからこちら、昨年末に弾けたとあるバブルの余燼とそれから、政財界にきな臭い動揺が満ちている反動か。本社直轄のデータベースへの情報の更新が頻繁になり。最高機密も満載な、いわゆる“深部”へまで影響及ぼす類いの情報にも、大きな変動ありき…ともなれば。そこへと触れられる責任者以外には手をつけられぬ。よってのこととて、役員秘書を統括する特別秘書室の室長殿にも、思わぬ残業が連日増える…という日々であり。リアルタイムで飛び込んでくるよな事態へも、臨機応変、利かせられるようにと、日頃の電車出勤を今だけは辞めていての、自家用車での通勤は。運転手つきならともかく、自分で転がすのでは さほどに楽だとも言えなくて。やっとのこと、自宅のガレージへその身を納めると。ついぞはまず聞かれぬそれ、安堵の吐息が 勘兵衛の口許からついつい零れたのもまた、多少なりとも疲れている証左だろう。陽のあたるところでの、社会や組織という基礎基盤を尊重しつつの働きは、その緊張も重責も、ともすりゃ“証しの務め”と変わらぬというのがようよう判る。法治国家だからこその窮屈な制約を枷と感じ、慎重な手順をいらいらと待たねばならぬが、なればこそ、そうして得たものを翳せば、これぞ公明正大ぞと絶対の発言権を行使出来もする。疚しい存在の所業を、闇へは闇へと“力”でねじ伏せ、陽の下へ引きずり出す“務め”とは、用いる力のカラーやベクトルが真逆ながらも、忍耐や馬力が要るハードさは、甲乙つけがたい いい勝負とも言えて…と。そんなこんなと思うこと自体が、

 「…やくたいもない、か。」

 何へとも知れぬ小さな苦笑を口許に張り付けると、車外へと出て、玄関へ。そんなこんなを総て“瑣事”としてしまう、至福の塒
(ねぐら)へと戻ったのだから。下らぬことを思うのは、やめだ やめとのかぶりを、その胸中でさんざに振った勘兵衛。さすがに遅い帰宅だからか、門柱と玄関の明かり以外は落ちていることへも、侘しいと思うより、おや珍しくも言いつけを守ったなという、くすぐったい苦笑が洩れる。いつもいつまでも、自身を“従者”の位置から動かさぬ連れ合いは、遅くなるからとどれほど言って聞かせても、日付が変わった夜半までだって、勘兵衛の帰りを起きて待っている強情者であり。とはいえ、こたびは泊まりがけの作業が続いたがため、本社に隣接する系列ホテルへの、連泊となった末の3日振りの帰宅ゆえ。帰れるかどうかは勘兵衛自身にも判らないと、そうと告げておいた上での外泊の後だけに。久蔵もいてのこと、寝坊を続ける訳にも行かぬ、何よりその久蔵がまた、おっ母様相手に限っては過ぎるほど気を回す和子だから。ちゃんと寝なさいと説き伏せられてのこと、素直に休んだ七郎次なのだろうと、こちらもそうとの解釈をし。

 “と、なれば。無体にも起こす訳にはいかぬわな。”

 防音処理を施された寝室にいるのなら、ガレージへと車を納めた物音もさして響かぬに違いなく。そのまま朝まで、ぐっすりと眠っていておくれとの心持ちからのこと。こしらえのくっきりとした、凛々しい口許をほころばせると、

  ―― 軽く眸を伏せ、そのまま ふっと

 今宵は風もない夜陰の中へ、確かに立ってた自身の気配、それはそれは容易くも、掻き消した壮年殿だったりする。





      ◇◇◇



 それが“証しの一族”としての、命をも賭すほどもの熾烈にして厳格な務めではなく、その素顔や存在を社会へと没させるためにと羽織りし“仮のもの”であるにせよ。真摯に務め、完遂目指してこそ安寧も約されると、才を生かしての実績積んで来られたその結果。長としての重責というもの託されるほどのお務めにまで、その肩書が大きく豊かに育ってしまった勘兵衛であり。普通一般の人であるなら、それこそが誉れの栄達であるはずが、

 ―― いやはや、これほどの誤算があるものかと

 むしろ迂闊と、困ったように苦笑をしておいでだった、当時はまだまだ壮年手前であった彼へ向け。めでたいと祝えばいいのかそれとも、早いうちに何かしらの失態抱えて凋落した方がいいものかと、結構本気で熟考なさっておいでなの、応援したがいいものか。こちらも随分と戸惑ったのを思い出す七郎次であったりし。

 “何を手掛けられても、お人柄が出てしまうものなんですよねぇ。”

 策の関係でなら、たいそう冷たく非道な人物を演じることとてないじゃあなかろうが。それでも…その身へとまといし雰囲気や印象が、人としての厚みや重みを匂わせぬは難しいようであり。まして、日々の暮らしを添わせた格好での“仮の姿”だ、それこそ 錯綜させた策も要らぬと、ついつい素顔で伸びやかにあたった結果。その人性から滲む色々で他者をやすやすと惹き寄せてしまい、そんな中でと繰り出される、並外れた手際の数々で、今のような格づけを彼へと与えたのもまた、余儀なきことに他ならず。

 『海外の支部との刷り合わせを伴う更新作業なのでな。』

 年明け早々にかかっていた作業の大詰めとあって、連日の残業がとうとう、社への泊まりも同然という案配へまでの、手放せぬ集中を必要とされよう代物になったと聞かされ。なので、帰宅を待たずに休みなさいと、出掛けとそれから夕刻や夜半にまで電話にて念を押されては。聞き入れないでいることこそ不敬な態かもと、そこはさすがに正しい把握をした七郎次でもあって。そして、そんな親御殿らの会話を聞いてのことだろ、そういう運びと察したらしき久蔵殿がまた。大急ぎで帰宅してくるばかりじゃあない、庭のお掃除やら夕食の支度やら、家事の総てへもこまごまと手を出して来。ひたりと寄り添い、無言ではあれ彼なりに甘えかかるその態度が、何とも かあいらしくてしょうがない。

 “勘兵衛様が帰られると、妙に距離を置かれますものね。”

 そんな必要なぞないというのに、一体何を警戒するものか。少しお兄さんになった猫がするように、家人との距離置く久蔵であり。七郎次当人へと違い、勘兵衛へは妙に敵愾心も強い子なので、もう子供ではないと…甘えただと見られるのは照れ臭くてのことからだろか。だとすりゃ、それもまた もっと幼い和子のような意固地さだと、

 “気づかぬところが可愛らしいんですよねぇ。”

 そんな風に感じ入ってた七郎次だったりし。多少は長くなった夕暮れだとはいえ、西の空がじわじわと藍色へ染まるの連れてくるように帰って来。ばたばたっと着替えるとそのまま、今晩のご飯はなに?とやって来たキッチンに居着いてしまう。配膳から何からすっかりと覚えた手際で手伝って下さり、食後は食後で、夕食に使った食器の片付けも、すぐの傍らに寄り添って手伝ってくれて。テレビを観るのも同じソファーへ並んでのくっついてだし、そうそう、お風呂に湯が張ってあると告げたれば、

 『……。////////』

 仄かに困ったような戸惑い浮かべた双眸で、あのね・あのあのと、少々苦手な甘えようを自分の身のうちに探しつつ。上目使いにきゅううんと見上げて来るのが…何とも言えずのかあいらしかったものだから。本当は…ある意味、島田の家の基本から外れること、二人しかいない家人の、二人ともが無防備になってどうするかという運びじゃああったが。一緒しましょかと おでこ同士をこつんことぶつけてお誘いしもした。

 “…よく寝て。”

 そうした挙句の 今は夜更けて。同んなじシャンプーに同んなじ石鹸、同じ香りに同じよな温みをまとったそのまま。明かりを落とした寝室にて、さらさらしっとりした互いの若い素肌を合わせるように、一つ布団の同じ閨の中へと伏している彼らだったりし。

 “……いえ、
  寝間着を着てのことですよ? 勿論。////////”

 あまり夜更かしが得意じゃあない次男坊。なので、風呂から上がればそのまま二階へ上がるのが常なのだが。昨日と一昨日だけは特別に、こやっての添い寝と運んでおり。

 “だって…しようがないじゃありませぬか。//////”

 こちらの肩口へおでこを乗っけて来、綿毛を揺すぶってのくしゅくしゅと擦り寄られてはネ。眠いというのも重なってのことだろ、そうまでの いかにもな甘えの素振りをするものだから。これへほだされないなんて、そんなお人がいるなんて信じられないとばかり、よしよしと懐ろへ抱え込んで差し上げて、御主のいない孤閨へと、愛らしい温みを招いたとて、誰に責められることでしょか。…ちょっと艶めいた言いようが過ぎますかしらね。
(苦笑)

 「……。」

 品よく整った瑞々しい唇を軽やかに合わせ、真白な頬へと伏せられた、まぶたの縁もなめらかに。すやすやと無心に眠る寝顔の、若さを映した健やかさの何とも麗しいことだろか。明かりは灯さぬ寝室なれど、夜目は利く方だったし、何よりあれこれ据えられた機器の通電灯の明かりもあってのこと、今時の室内が真っ暗闇なはずもなく。暗さに慣れた眸が、間近に擦り寄った次男坊の寝顔の甘さを、やんわりと捕らえて離さない。

 “…やさしい子ですよねぇ。”

 久蔵殿にしてみれば、独りにすればきっと、いつまでも起きている七郎次なんじゃあなかろうかと、そうと案じてくれたに違いない。あまりに美麗が過ぎてのこと、冷たい印象のあるところを誤解されがちだが、心根は優しいし、義理堅い子でもあり。さほどこのごろでもなくの随分と前から、荷物があれば 片方だけでも持つと必ず手を延べて来たし、菓子やおむすび貰ったりすれば、2つに割って差し出すくせを、

 “ああ、あれは私が教えたよなものでしたか。”

 自分がされて嬉しかったことは、素直に真似した優しい子。干支で一回り近くも年下の和子から、いつの間にやら気遣われる側になりつつある自身であるの、最近は特に自覚するようになってもいて。自分が衰えたのだろか、いやいや この彼の方がうんと長じたまでですよぉと、こちらの胸元へ触れている、綺麗な手からも伝わるやさしい温みに、青玻璃の双眸をやんわりとたわめたおっ母様。早く寝ておれと、言われなくとも もう限界。自分のそれもさらさらと流れる見事な金絲の髪なのを、枕や肩口へと解いたそのまま。嫋やかな顔容
(かんばせ)を縁取る白き頬、半分ほどを大きめの枕へ沈めると。深い吐息を一つついたのを最後に、七郎次もまたとうとう睡魔の手へと落ちてった。







 布団の中さえ暖かければいいからか、寝室はさほどに暖房も利かせてはおらず。これは随分早々と寝ついたらしいなということを窺わせ。

 「……。」

 コートや上着はリビングへ脱いで来た。行儀が悪いの、しわになるのと、困ったお人よと眉を下げるだろう恋女房なのが、今からのもう察せられたけれど。ごそごそという物音で、起こしてしまっては忍びない。パジャマのありかを思い出せなんだのでと、ネクタイを外しただけのシャツ姿。下も、勿論のスーツのボトムをはいたまま、歩みを運んだ寝台の端。腰掛けると同時に躊躇なく、上掛け持ち上げ、するりと身をすべり込ませた閨の中は、何日振りかの優しい匂いが、疲れた御主を迎えるように満ちており。こちらへと背中を向けている存在へ、浅い一揺すりでにじり寄ると、腕を延べての包み込むよに、自身の懐ろへと招いてのこと、ひょいと抱え込んでしまう勘兵衛で。鼻先に来る髪の匂いも懐かしく。手入れをせずに寝ついたか、少々撥ねているのがまた目新しくて。自分がいないとそんなずぼらもする彼かと思えば、いっそ可愛らしくもあったれど、

 “……お?”

 懐ろへとすっぽり収まった肩や背中は、気のせいだろうか抱きごたえが少々頼りなく。自分が不在の間に少し痩せたのではなかろうかと思えたほどで。

 “…すまなんだな。”

 我慢や無理を、自分の身へとばかり溜め込むところのある困った伴侶は、悪気あってのことじゃあないと判っていても、叱るという格好を取らないと改めないから始末に負えぬ。独り寝が寂しかったか、それとも辛かったものか。なかなか寝付けぬ二日を過ごしたその末に、今宵はやっと眠れたのかも知れず。起こすまい起こすまいとそのまま素直に眸を伏せて、寝つくことをば目指した勘兵衛だったれど。


  「…………?」


   ―― どういうものか、寝台そのものが微かに震えているような


 眸を伏せての落ち着こうとして気づいたそれへ、何だろ何だと気配を探れば。そんな彼が胸元へと愛しい女房を抱えた手の甲へ、寝台の向こう側からそおと触れる者があり。

 「…っ。」

 何だ何ごとかと、ギョッとしてまぶたを上げたのと、鋭い肘撃ちが…すぐの至近からどんと繰り出されたのがほぼ同時。触れるや否やという素早さで、天井を見上げる格好にて身を倒して躱したため、直撃は免れてのそして、

 「…いきなり何をしやるか、久蔵。」
 「いきなりはお互い様だ。」

 いい心地で熟睡していた身を、突然のこと背後から抱きすくめられたのだ。これで起きないというのはむしろ問題だろう久蔵が、ぱちっと起きたその気配にて、七郎次もまた何だ何だと起きており。二人の狭間にすべり込んで来た、ごつりと雄々しい手と腕と。ああそうかとすぐさま総てを察した、七郎次の側は笑いたいのを必死でこらえ、久蔵の側は…どのタイミングで逆襲に出れば、この髭の壮年殿へは効果的かを踏んでいたようで。背後を取られるのは七郎次以外へは許容出来ぬか、七郎次が脇卓へ手を延べて枕灯を点ける中、よいしょと寝返りを打って見せた久蔵だったのが、場所は譲れぬとの態度をありありと呈しており。そんな坊やを挟んでの、やっとそこにいると見つけた女房相手に、

 「起こしては悪いと思うての。」
 「〜〜〜〜。」
 「気配も消しての徹底ぶりってのはなんですか、勘兵衛様。」

 お人が悪いにも程がありますと、それで詰っているつもりらしき七郎次は、だが、まだまだ笑いの発作が収まらぬらしい。その振動で何だなんだと微睡みから揺り起こされたような勘兵衛であり、

 “こうまで笑い上戸だったかの?”

 お久し振りの顔合わせにて、まるでコントのような一幕演じた面々でしたが、もう夜は遅いと気を取り直し。少々手狭ではありますがと、三人での“川の字”でおやすみなさいをしたようで。とんだ珍事であれ、互いへの把握がそれをあっさり笑い話へ塗り替えたよに。善いことばかりが飛び込んで来る、この一年になればいいですねと。屋根の上、お散歩に出て来た猫が一匹、マ〜ヴと甘く鳴いた春隣りの晩でした。






   〜Fine〜  10.01.19.


  *出オチでしたか?
   それともオチばれっていうのかな、こういうの。
   シムラ後ろ後ろっというノリで、
   シチさん、笑いが止まらなかったらしいです。
   いやあ、これも進歩進歩。
(おいおい)

  *匂いや温みという描写を、しょちゅう使うMorlin.ですが、
   それって、
   雰囲気とか印象とかを、鮮やかに書くことへの憧れの現れです。
   流麗な字を“水茎の跡も麗しく…”と描写するように、
   雑踏の中やら、若しくは何にも無いよな戸外にて、
   梅やキンモクセイのような花だろか、
   それはいい匂いがして来ることを、
   その香りが
   “室内へ一条の水脈
(みお)を引く”と使ってらした文章がありまして。
   なんかこう、簡単な言い回しだのに肌身で深く判る綺麗さに、
   凄いなぁとうっとり憧れたものです。

   雨上がりの土の匂いとか、雪の降る無音の気配とか、
   畳を擦る足音や、帯を結ぶときに立つ独特な衣擦れの音とか。
   なんてんでしょうかね、
   仄かなものを拾えたり、そこへ味わい求めるのは、
   研ぎ澄まされた感性あってのことであり。
   耳を澄ますだけで、風を嗅ぐだけで、
   いろいろと味わえた、日本人独特の豊かな感性を、
   便利だからと 今時のもので何でもかんでも代替し、
   廃れさせるのは本当に勿体ないなぁと思います。

   春先とか初夏、秋の初めの夜陰の中。
   明かりも無い寂しい道で、
   早咲きの梅とか クチナシ、キンモクセイか、
   どこからとも無く甘い香りが鮮やかに立つのが、
   何とも艶があって華やかであると、
   そんな印象を作品の中にさらりと書いておいでだった、
   都筑道夫さんの書かれる『なめくじ長屋』シリーズは、
   是非とも読んでいただきたい名作ですvv

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